小城基(1900-1970)
略歴
1900年 福岡県久留米に生まれる。
日本美術学校を卒業。職を転々としながら独学で絵を学ぶ。
1925年 渡仏。パリで風景画の個展を開催。
1927年 サロン・ドートンヌに出品。サロン・ナショナルに出品。
1928年 帰国。
1929年 三越で個展。
1929年 再渡仏。32年帰国。
1933年 再々渡仏。34年帰国。
1935年 新自然派協会展に参加。
1937年 自由美術家協会創立。創立会員は長谷川三郎、浜口陽三、矢橋六郎、村井正誠、山口薫、津田正周、大津田正豊、荒井龍男、瑛九、藤岡昇、小城基。
1938年 有馬農林大臣の援助で満州の移民村を主材とする大陸の風景画を制作する。
1950年 3月25日 日本ボーイスカウト東京連盟目黒第1団を設立(?)
1970年 死去。
参考文献:いのは画廊データベース 東文研アーカイブデータベース ボーイスカウト目黒1団ホームページ
ヤフーオークションにて購入。
小城基の水彩画で欧州の風景を描いたものです。
小城基についてはほとんど情報がありません。『20世紀 物故洋画家事典』にも載っていないので略歴すら定かではありません。いのは画廊データベースや東文研アーカイブデータベースは美術年鑑を参考にしたものだと思いますが、実物はまだ見れていません。
存在自体は清水多嘉示の図録における集合写真にも写っているので確かなのですが、市場にある作品数は少ないと思われます。ヤフーオークションでもだいたいは作者不詳で出ていますので、わからないままになっているものも多いのかもしれませんが。
絵の内容としては、とてもシンプル、というかあまりにもシンプルで、正直どう楽しんでよいのかわからないのですが、小城は雲の動きを強調する作品が多く、そこがこだわりポイントなのだと思います。この作品も強いて言えばそこの辺りが鑑賞していておもしろいところです。(小城の作品は油彩でもおおよそこんな画風です)
さて、情報の少ない画家ではありますが、戦中は従軍画家として中国へ渡っているようです。そこで有馬頼寧の援助で絵を制作しています。この有馬頼寧という人物は岩倉具視を祖父に持つ政治家で、様々なスポーツ振興に貢献しました。競馬の有馬記念もこの有馬頼寧の名前に由来したものです。
もっと情報が欲しかった僕はネットで調べている中で偶然、ボーイスカウト団の創立者として小城基の名前が載っているのを発見しました。こんな特徴的な名前が、同姓同名の別人のものである可能性は低いと思うのですが、確証は得られていないので(?)を略歴に付けています。
いのは画廊データベースによると戦後は消息不明と書いてあったので、もし目黒で元気に少年少女たちとボーイスカウト活動していたとすれば、それは喜ばしいことだと思いながらこの絵を眺めています。