こんにちは!
本日もよろしくお願いします!
1、文筆家、曽宮一念
今回のエッセイはこちら。
『夕ばえ』曽宮一念(石原求龍堂 1943)
日本の物故洋画家の中で一番多くのエッセイを残している画家はおそらく、曽宮一念でしょう。
単行本だけでも15冊以上、画集や詩画集も入れるともっとあります。現在では講談社文芸文庫でも『榛の畦道・海辺の熔岩』が刊行されており、手軽に読むことができてありがたいです。
曽宮は1994年に101歳で亡くなっており、この年代の画家での最長老でした。もともとは子供の頃から体が弱く、画家になった後も何度も入院、静養を繰り返しており、そんな曽宮が一番長生きしたのですから驚きで、本人もそう語っています。しかし、1959年に右目を緑内障の手術の失敗により失明、後に摘出、さらに1971年には左目も失明してしまいます。
それで絵筆を置いた曽宮でしたが、そこから亡くなるまでの23年間でも多くの書やエッセイを残しています。
今回はそんな曽宮の2冊目の随筆集『夕ばえ』を選ばせていただきました。
2、風景画の画家
曽宮の文章の内容はその数の通り、多岐にわたります。画家仲間との思い出や、幼少期のこと、病気静養のこと、自然のことなどなど。
とても顔が広く、多くの画家と関わってきた曽宮の思い出話や証言はとても貴重であり、僕みたいなコレクターにしてみれば心躍るようなエピソードばかりなのですが、それと同じくらい貴重なのが曽宮の絵に対する考え方の吐露です。
曽宮を通してこの時代の画家がおよそどんなことを考えていたのか、またどんな理由でそう考えたのかを考察することができることはとても有意義と思います。
これは曽宮が多筆であり、何でも文章の種として書いてくれたおかげです。もちろん、同年代の全ての画家の考えについて、曽宮を代表として代弁させるのは無理があると思いますが、ひとまず曽宮自身が考えていたことを、曽宮の作品を見ながら確認するだけでも十分に意義はあると思います。
『夕ばえ』の中に「かきたい風景」という文章があります。題名の通り、曽宮がこれまでにどんな風景に惹かれて描いてきたか、またその動機はどんなものだったのかを書いたものです。
そもそも、風景画を外に出て描くというのは、絵画史上では新しく出てきた傾向でした。西洋絵画の画題というのは、もともとは宗教画だったことは皆さんもなんとなくご存じだと思います。僕も詳しくは知らないのですが、うっすらとは知っています。宗教画は想像の産物ですので、外に出て写生する必要はありません。したがって、風もなく光の調節も容易な室内で描くのが理にかなっているといえます。
ところが、そうやって作られた暗い光の作品から、外に出て外の光を明るく描く「外光派」へと時代が移っていきます。その歴史の変遷は追うと長くなるので割愛させていただきますが、日本人画家がパリで学んだ当時はまさに外光派全盛期の頃でした。なので僕の蒐集の対象にしている物故画家は皆、判で押したようにイーゼルを担いで写生に出かけ、風景画を大量に生産しています。
ちなみに現在では、絵の制作の場は再びアトリエに戻っています。外で山や海や街を描くことを主な仕事としている現代美術家に僕はまだ出会ったことがありません。つまり、物故洋画家たちの残した大量の風景画たちは、ある意味貴重なその時代の産物と言えます。
そんな中でも曽宮一念という画家はとくに風景にこだわった画家でした。曽宮の代表作には静物画も多く含まれていますが、それは病気養生の際に外に出かけられないから、半分仕方なく描いていたそうです。曽宮は花や草木についても多くのこだわりを綴っており、とても好きだったようですが、やはり自然の中に生えている形が一番よいと思っていたようです。
曽宮はそのキャリアの初期の頃は、主に東京の郊外の風景を多く描いています。文章によると、その頃の東京はまだ地方色が濃く、家の形や垣根の形、樹木の種類などに違いがあって、美しいと感じたそうです。
次に富士裾野に通い詰めます。そこは荒野と桑畑の傾斜ばかりで「よくもあんな所へ幾年も打ち込んで行ったもの」と本人も不思議だと言っていますが、その頃は一生裾野に通うと思っていたそうです。
その反動か、次からは傾斜とは正反対な、まっ平な土地に惹かれ始めます。そういった土地は初めて行ったときには全くといっていいほどとっかかりがなく、描くのに困るのだが回数を重ねるごとにその土地の魅力というか味わいが出てきて、かえって飽きがこないと語ります。
この「とっかかり」が得やすいのが言わゆる景勝地、写生地と呼ばれるところだそうで、画家同士でよく情報交換をしていたようです。
それから養生のために行った信州の雪景色や、安井曽太郎に薦められて行った房州の海景などもよく描いています。
3、自然の中に見出す画因
曽宮は風景の中に「画因」を見出すと言います。これは曽宮だけでなく、この時代の画家は同じようなことをよく口にしています。
画因とはなんなのか。少し話は逸れますが、作家や音楽家の中に長時間散歩をすることによってアイデアを浮かび上がらせ、それを作品づくりに活かしたという話がありますが、画家が外にイーゼルを担いで出かけることにも同じような効果があったのかもしれません。
自身の運動効果と、自然の変化、風などによる運動。それら風景の線や色彩と、学んだ絵画理論、そういったものが交差したところに、もしかしたら画因を見出していたのかもしれません。
曽宮は特に荒天の際の風景を好んで描きました。雨、時化、吹雪、どれも素材が厳しすぎるので、春風の中、満開の桜を描いたり、綺麗な月夜を描いたりもしたいと書いておりますが、それではただの桜や月夜に過ぎなくなってしまうとも言います。そして最後に以下のように綴ります。
吹雪や時化でなくても風景の仕事はずゐぶん無駄な労力と時間を費やさねばならない。予定などもあてにならない。然しその困難は人間生活を浄化させてくれる、私自身もそれで世俗のきたなさを幾分救はれてゐるやうに思ふ。
『夕ばえ』曽宮一念(石原求龍堂 1943)p.200より
外に絵を描くために赴くことは、精神の健康のため、また自分の内面を見つめるためにも良い作用があったと思います。頭で考えるだけではなく、身体で考える、自然と対話する。そういった要素が絵の内容にも確かに反映されています。だからこそ、多くの人々の心を掴み、未だに僕の心も掴んで離さないのだと考えます。
※最後に、この時代の本の物質的魅力について触れたいと思います。
この『夕ばえ』の初版は昭和18年、つまり戦前です。箱に入っていて、装丁の字も曽宮のものを用い印刷されていて、とても良い雰囲気です。
中にも多くのデッサンが挿絵として入っており、優しい紙の手触りと、捲った時に現れるデッサンとで心地よい読書体験を提供してくれます。
こんな本が古書価格500円ほどで手に入るなんて(僕は500円で購入しました)本当に贅沢なことだと思います。
新刊の文庫本よりも安い値段なのです。古書にはこういった楽しみがあることも是非知っていただきたいと思っております。そうして古書趣味から、物故洋画趣味へとやって来ていただきたい……そんな淡い期待を抱きながら、今日もシコシコとブログを綴っております。
ではでは、また~。