広本季与丸(1908-1975)
略歴
1908年 愛知県宝飯郡三谷村(現・蒲郡市三谷町)に12人兄弟の7男として生まれる。
1928年 京都、関西美術院で絵を学ぶ。東京、太平洋美術学校卒業。
1934年 帝展に初入選。11月26日~30日、高知県にて個展開催。 1935年 太平洋展にて相馬賞受賞
1936年 長兄・進、季与丸、六男・森雄の三兄弟が揃って文展に入選。同年、画家仲間の堀内秋子(画号 島村あき子で二科展出品歴あり)と結婚。 1937年 長女ミチル誕生。しかし、ミチルは二歳前に死去。その翌年には妻秋子も亡くなる。
1941年 江川ミサヲと再婚。兄・進の経営する旅館「ふきぬき」へ新婚旅行。長男春宋誕生。
1944年 戦争へ招集。中国へ派遣される。妻は実家のある秋田に疎開。 1945年 疎開先で長男春宋病死。復員後は秋田で二年ほど過ごし、農村の風景をよく描いた。
1947年 他人に貸していた世田谷区大蔵のアトリエの一室に戻る。 1948年 長女夢子誕生。
1965年 日展無鑑査 1971年 台湾旅行 1973年 フランス旅行 1975年 6月28日の夜、突然死去。享年67歳。
1982年 豊橋美術博物館で、戦前東三河地方で活躍した洋画家による「豊橋近代洋画展」において「裸婦」「朝の雪道」「昼下がり」が出品。
2006年 豊橋市美術博物館にて、所蔵絵画名品100選展に「朝の雪道」が展示され、来場者投票にてベスト10に選ばれる。
2018年 蒲郡市博物館にて「広本季与丸展」
参考文献:『廣本季輿丸画集』田名夢子発行(ファイナンスクリニック 2007)
いのは画廊にて購入。
広本季与丸の静物画でポピーを描いたものです。
サインの形状から1960年代後半以降の作と思いますが詳細は不明です。
広本は娘の夢子さんによると、いつも絵を描いていたそうで、絵が描けないと悩んでいる姿は見たことがなかったとのこと。絵を描かないときもアトリエに行き、絵の具や道具の整理。そして一度書き始めるととても筆が速かったそうです。
画題は常に身近なものを好み、人物なら家族やその友人。風景なら近所や海。家ではいつも静物画を描いていたようです。そんな日常を描写した文章がとても好きなので、少し画集から引用させていただきます。
自宅に居る時はいつもアトリエの床に座り込んで、床に置いた静物を描いていた。
無造作に活けられたり置かれたものを、その時の新鮮さ、つややかさ、生き生きとした美しさを、そして時には枯れて行く様をも描いていた。
果物などはその季節のいただき物などを、花も自宅で咲いたものの他、自転車で散歩に行って、咲いているお宅からいただいてきたり、近くの絵画教室で教えていた生徒さん方が持って来てくださったりと、花屋さんで買ったものはあまりなかったのではないかと思う。
私が全寮制の短大から帰る時に学校から持ってきたワスレナグサや、トレニアなども描かれている。
『廣本季輿丸画集』田名夢子発行(ファイナンスクリニック 2007)P.73
広本が描いた静物画はだいたいが花や野菜や果物で、ときどき海産物や陶器や子供の私物なども描いています。この絵にある青い花瓶もよく登場します。
そして、僕はこの日常で描かれた静物画にこそ広本の絵の魅力が詰まっていると思っています。
この絵を眺めながら在りし日の広本がアトリエに座り込んでサッサッと絵を描いている光景を思い浮かべると、なんだかホッとするというか、自分も頑張ろうという気持ちになれる。そんな気がします。