千葉勝(1926-1987)
略歴
1926年 岩手県水沢市に生まれる。本名・勝男。
1941年 宮城県仙台第一中学校(現・宮城県仙台第一高等学校)に入学。1945年 同校を戦時体制に準じ四年で繰り上げ卒業。海軍特殊幹部特攻隊に入隊。人間魚雷で出撃寸前に終戦となる。
1946年 宮沢賢治に傾倒し詩作。「麦笛(ばくてき)」と号し「麦笛詩集 第一輯」を出す。1947年 絵を志し上京。造型美術学園(現・武蔵野美術大学)に入学。この翌年に同校に西洋画科が発足。指導教授陣には岡田謙三、児島善三郎、清水多嘉示、野口弥太郎ら。1949年 大学教授陣に高畠達四郎、三雲祥之助、林武らが加わる。また、個人的に三岸節子家族と親交を得て、そこで菅野圭介を知り、指導を仰ぐこととなり、菅野から多大な影響を受ける。1951年 卒業。詩集『ゼロ』を刊行。結婚。伊豆、真鶴と湯河原の間のみかん山別荘地に新居を構える。
1953年 第1回 千葉かつを個展(サヱグ画廊)1954年 長女誕生。1955年 世田谷に移住 1956年 千葉かつを・三岸黄太二人展(サヱグサ画廊)1957年 新樹会第11回展(日本橋三越)1958年 新樹会第12回展(日本橋三越) この年に特に好んで使っていたバーント・シエナという顔料がイタリアのシエナの土に由来することを知り、その色を見に行きたいと思うようになる。
1959年 千葉かつを・郁世二人展にて完売。それを資金に渡欧。名を勝と改める。9月 千葉勝個展(サン・クリストーフォロ教会回廊 シエナ) シエナからミラノ、ミラノからローマへ移動 1960年 以降ローマに定住する。
その後イタリアを主にフランスや日本で活躍。1975年にはシエナ市名誉市民を授与。1985年 白血病と診断、帰国し、仙台の病院に入院。1987年 入院闘病中も個展開催の計画がもたらされ、病床にてシルクスクリーンを制作。これが遺作となった。
1988年 追悼千葉勝個展(サヱグサ画廊)
2009年 千葉勝展-トスカーナの風に抱かれて-(岩手県立美術館)
参考文献:『千葉勝 シエナへの道』千葉勝(美術出版社 1996)
いのは画廊にて購入。
千葉の愛したシエナをバーント・シエナで描いた作品です。
抽象的な風景画で、菅野圭介に影響を受けたことがよくわかります。菅野の絵もそこはかとなく明るい雰囲気がしますが、千葉の絵も常にからっと明るく、画集を見てもどれもどこか明るい気質を感じます。
作風から1970年代後半の作と推察しますが、正確なところは不明です。
もっと抽象に寄った絵も多いのですが、個人的にはこのくらいの具象を抽象的に捉えている感じの絵が好みです。
千葉の絵はこの9年ずっと探しているのですが、遺作となったシルクスクリーン以外の作品にはまだ出会えていません。これからも探し続けるつもりです。